昭和45年01月01日元日祭
皆さん本日は明けましてお目出度うございます。皆さんのひときわのお願いであります。どなたもおんなし事だと思います。今年こそおかげを頂かねばならんと。そういう願いや強い時でございますから、どうでもそのおかげを頂かして頂くのと、1月1日元旦にあたってそのおかげを、これならば絶対という基をです、1つ頂いて欲しいと思うのでございます。どうぞですから今日は少し(笑い)勉強をして頂かねばなりません。昨夜除夜祭が行われました。度々その除夜祭の内容が、違うのでございますが。
今までは、この元旦祭の前夜祭といった感じのお祭りでございましたから、お祭りもまあいうなら、ごしょうぶんでございました。けれども色々お互い感じる所があり、私も特に感じました事は、特に一年間という、年月を振り返らして頂いて、本当におかげを頂いておる。信心も出来ませんのに、例えて申しますと去年の今日、去年の元旦祭の時により明るく、よりにこやかにと、ここに一つ焦点を置かして頂いて、今年一年をと言う事でございましたんですけれども、なかなかそれがじられていなかった。
ちょうど二日位、二日前でした。朝の御記念に、久留米の佐田さん方ご一家が、毎朝ああしてお参りなりますが、本当に「親先生一年間この事に取り組んで参りました積りでございますけれども、やはり目の荒い事でございました」と、ですからあと丸二日残らして頂いておる、この二日間をです、いよいよですいわゆるより明るく、よりにこやかにと言う事を、いよいよモットーに、この二日間を過させて頂きたいと思う。
そしてそれを今年の締め括りとして頂きたい、お礼の印にさせて頂きたいという意味のお届けが、お母さんと嫁さんの恵美子さんと、二人でそういうお届けをなさいました。もう確かにそれに取り組みますとね、その自分が助かるだけではなくて、人が助かるだけではなくて、そこに神乍らなお繰り合わせが頂かれるのです。というその事だけに対しましてもです、私共がおかげを受けてきたけれども、その事が行じられたかというと、いわば親の言う事は聞かんなりに、おかげを受けたと言う訳でございますからね。
やはり信心も出来ませんのに、この様なおかげを頂いて勿体無いという、一年の締め括りのお礼のお祭り。同時に出来もしなかったと言う事に対するお詫びを、心からさせて頂こう、そういう内容のお祭りにさせて頂こうと、私しは月次祭の時にも申しましたです、そういう意味合いに置いてのお祭りが、まあ昨夜使えられました。殆ど時間励行でですので、おかげを頂きましたから、いつもまあ八時半にお参りをしてくりゃ、月次祭の神様の方のお祭りには、間に合うと言った様な気持ちもあったので御座いましょうか。
私共が祭員全部、こちらに出てまいります、時にはここがパラーとで御座いました。段々お祭りがしまえる頃には、大体お広前がまあ、いっぱいで御座いましたけれどもです。その事が、私は神様に対して相済まん事だなあと、本当に御蔭を受けておると、これは私を始め、皆ここに御取り次ぎを願わして頂いておるのが、御かげを受けておるにもかかわらずです、いわゆる一年中の締め括りをさせて頂かねばならないという。
そのお礼のお礼が又はお詫びが、こころゆくまでなされてこそ、初めて今日の元旦祭が、いよいよ有難いものになってくるであろうろに、これでは合い済まん事だなと、思わせて頂いてその事をお詫びさせて頂たんです。そういたしましたらね、神様からこういうお知らせを頂くんです。昔のこうよう五十三次の絵なんかを見ますと、その茶店がありますよね、赤い旗を立てて、お休み所ていうの、そのお休み所の感じですね。
そこには名物の団子と何かがあって、お茶を頂いてその団子で、まあ旅の疲れを休めようというわけなんです。所がそこの中々そのお茶も美味しいし、団子もやはり名物で、と言われるだけに美味しいのです。ところがですね、そこにおるお茶酌み女というか、亭主というかが、どうにも無愛想ですね。それでお茶も美味しかった、団子も美味しかったけれどもですね。又ここを通る時にはよらせてもらおうと言った様なものが、そのお客さんに感じられない。そういういわば情景を頂くんです。
まあいうならここが、まあ一休みする所といたしましょうか、確かにここでは美味しい団子も売っておる、美味しいお茶も差し上げておるけれども、雰囲気が悪い。本気でここで信心の、成程お話を聞けば聞く程に、いわばここではお蔭を受けておるという事なのです。お蔭を受けておるけれどもです、そのおかげを通して、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせとおおせられる所の、願う氏子におかげを授けてある。
そこで次に理解申して聞かせが、ここでほど徹底的にあっている所なかろうと思う位に、理解申せ聞かせがあっているわけなんですね。ところがその理解申して聞かせという、聞かせてはおるんだけれども、それを有り難くは頂いていない、それを身に付けてはいないという事は、結局それはどう言う事になるかというとね。誰が悪いのでもなからなければ、結局お前のに教導不行き届きだと言う事になったのですね。ですから私はその事を、お詫びさせてもらい、昨夜もその事をお詫びしぬかせて頂きました。
やっぱり神様のおかげでおかげは頂きましたが、信心を渡す事が出来なかった。信心を与える事が出来なかった。本当に信心が分かっておるならばね、又年末のお祭り前位に、あれもこれも片付く位のお繰り合わせを頂いておるはずだ。頂くはずだ。いや頂かなかっても、それを置いてからでも、今日はさあ一年中の御礼のお祭りば一年中のお詫びをさせて頂いて、明日の有難い目出度い元旦祭に望まして頂くためにもです、元旦祭に望むというんじゃないけども、新たな年を迎えさせて頂く心構えがです。
その前の年、その前夜にもうスッキリ出来とらねばいけないと、それが信心がね、信心を頂いておれば、そうせなければおられないのである。信心が分かっておればそう、ところがもうよかよか、どうせ元旦祭に一家中でお参りするのじゃから、もう元旦祭にもう旧年中の事もお礼を申し上げて、又今年の事もガバッとお願して帰ろうと言うて、もう盆と正月にお参りは決めてと言う様な人達すらがあるくらいですからね、お参りはもう盆と正月に決めとる。まあ参らんよりはいいですよね。
けれどもね、そこにやっぱり思わせて頂くのですね、昨日も私はそういう例を持って皆さんに聞いて頂いたんですけれどもね、例えば漫才なり落語なりと。面白い腹を抱えて笑わして頂くような、演芸がまぁあっておるとね。この人がまあ優々として楽しまないかっこうしとるから、一遍きょうども話ども聞きいこうや。今日は一つ漫才でも見に行こうやと。もう行く気もせん、と言うものでも、無理に引っ張って、例えば小屋に行ったとするか。始めの間は何が面白かじゃろうか、人が笑いよるね。
人が笑いよるとが腹ん立つごとあった。ところがこちらでお話をしておる人が名人であった。段々その話にみせられて、そしてそのうつうつとしておるその心がです、自分も一緒に、いわばこうしょうしておる、腹を抱えて笑っておる、はぁ今日はあんたに導かれて良かった。今日はあんたに連れてきてもろて良かった。久しぶりで心から笑うたと言う様なおかげを頂くと、そこにはねその話をしておる人が名人だからなのです。私もここではしっかりお話はしておるけれども、その話によってです。
今日はお導きを頂いて良かった。それは有難くない、例えばおかげさい頂けば信心などうでもええという人がです、こりゃ本気で一つこの信心をさせて頂かなきゃならんものばい、そしてこれを子にも孫にも伝えとかなきゃならんものよと、分からせて頂く程しの所まで行っていなかったという事なのです。これは私がもっと磨かにゃいかん、こりゃ話が上手にならんならんと言うのじゃないです。まあ話しはこれ位でよかね、けれどもです、親先生のお話を頂きよったら、有り難う成らせて頂けれるんだ。
そしてあれが本当なんだ。ああいう生き方が有るのだと、その生き方を、その次には本気で学ばせて頂こう、分からせて頂こうという信心のです、姿勢をです、お互いが作らせて頂かなければならんと言う事ね、ならんじゃない、そうさせ得る取り次ぎ者であり、先生に成らなければならんのだと、私の力不足がこのような結果になりました、どうぞ一年間後の、この除夜祭には、この御広前を埋める程しの人で、お礼参拝の人が出来ます事を、願わせて頂いた様な訳でございます。
ですからね、おかげを頂くと言う事とですね、信心を頂くと言う事は、別々じゃないのです実は。おかげを頂きながらですね、おかげを頂きながら、信心を分からせて頂かなきゃいかんのです。金光様の御信心はそうなんですね、そこで問題は信心。はぁ私はお参りはせんけれども、家からしっかり拝んどると。親先生が仰ったこの事だけは守っとると。と言うだけではいけんのですね。そこでです私はね、ここ二、三日、ここ一周間位前からここん所を何回も頂くんですね。
毎朝、朝の御理解に。金光様のご信心なこれだと。これだ。ここん所に焦点を置いて、お互い信心をさせて頂くならばですね。必ず信心も頂かれる、徳も受けられる、おかげも頂けれる。あの世にももって行けれる徳がこの世にも残しておけるものまでが頂けれる。という所をです、まあ皆さんにその勉強して頂こうと言う訳なんです。御理解七節です。読ませて頂きます。「御理解第七節、天地金乃神は昔からある神ぞ。途中から出来た神でなし、天地ははやる事もなし、はやる事なければ終わりもなし。
天地日月乃心になる事肝要なり。信心はせんでも、おかげはやってある」と。私ども、これをもうずいぶん何回も何回も頂いてまいりました御教えです。はぁ金光様ちゃ有難いなぁ。天地と共に極まりなく、天地のある限り金光教という信心は潰れはせんぞと。まあ、そういうイメージをこのみ教えから受けておったのでございます。ところがですね、そうじゃない、成る程天地金乃神は、今出来られた神様じゃない、昔からある神なのだけれども。成る程はやりも無からなければ、またそれがすたる。
だからすたる事も勿論、だからないわけです。けれどもね金光様も例え、教祖生神金光大神がもう後にも先にも、この様な宗教家は又と有るまいと、私は信じますけれども、そういう生神様のお立てになられた、しかもそれは神頼みのまにまにそういう道が開かれた。のが、金光様の御信心なのですけれども、その金光様の御信心もですね、段々活きたものを無くしておる。いうならば世の中にもいくらもあるけいしき教に終わってしまう。形だけの、いわば信心に終わってしまうね。
お葬式だけの為の宗教であってはならないね、日々がです世の中の難儀な氏子が、日々取り次ぎ助けられるところの活きた生神金光大神、取り次ぎの御日がです、活き活きとして輝いていかねばならんね、にもかかわらずです、ただ実意丁寧、実意丁寧をふりかざして、実意丁寧がどのようなことやらも、極めようともせず、ただ実意丁寧とは、頭を低う下げる事ばっかりの様に思うてです。
いうならば実意丁寧の化け物が段々多くなってきたちゃ。はぁいちゃもう金光様の信心じゃろうなかなかもう丁寧なこっちゃ、もう御本部当り行くと、私しだんそげん思います。もうこっちが頭頭下げちげちから、ていげいええ加減で良かろうと、思うち頭を上げるとまだ下げておる、それが実意丁寧ね、成程形の上においてはそれは確かに、実意丁寧かもしれませんけれどもね、私はそれが実意丁寧じゃない、心が実意丁寧なかなければならないと言う事。
いわゆる実意丁寧神信心が中に伴ってはなければならないという事ね。ですから先日私は、これはあのやつなみ八並という、東京のちょっつとそういう所何とか教会でしたかね、りっぱな御本が出来て、ここにもう見えられました。その先生が御本部で、もう61歳かなられます。そこが大きな病院を経営なさっておられます。けれどももうお父様が、いわいる教会長がもう老衰しとられますから、自分がどうしても、教会の教会長として御用を頂かねばならんという、下準備だったでしょう。
御本部に参られて、後から御本を読ませて頂いたら、全国です、あのあそこはご比例輝いておるという教会順歴をで行きなさっておられますご本部参拝の時に、何人かに聞かれた。今九州で活き活きとしたご比例を頂いておる教会がありますかっち。さあそら九州で今、活き活きとしたご比例なら、合楽でしょう。と何人に聞いても、合楽だゃち言うた。そのあしで飛行機で飛んでこられた。それでここへ見えられました。甘木と高宮がお友達だそうですから、三つの教会によって帰られた。
その事があちらの新聞にもでておりました、雑誌にも出ておりました。これも写真の、かかげてのとにかく、神徳あふれるばかりが御広前だと言う、書いちゃりましたね、とにかく入ってからね、奥が深いそうでしょうあちらからこうこんならん。もう御広前に座ったとたんにです。神徳が溢れておる思いの教会であったと。けれども全国ずいぶん回ったけれども、御結界が両方にある所はあそこが始めてだった。と言う事を書いてあった。確かにここだけですね。
両方で御結界お取り次ぎをさせてもらっているのは。その「やつなみ」というご本にです、「長谷川」という大変お徳の受けられた先生が、書いておられる御理解の中にですね。まあ全国でですね、その金光教はまあ、心配いらんと言う様な事を書いちゃるんです。確かにこのごろ形式教が多なってきた。形ばっかりうんぬんするようになって来たがね、まだまだ金光教もみ捨てたもんじゃあない、あちらこちらに、所々では有るけれども、活きたご比例を輝かしておる所があると言う事が書いてある。
してみると、金光教の多くの教会がもう、その活きたものを無くしておる、いや無くしかかっておると言う事が、言えるじゃないですか。そればっかりなったら駄目でしょう。いかに天地はなるほど、はやる事も無からなければ、終わりもないのでございましょう、けれどもです。そのいかに天地の親神様を拝んでおるからというてもです、こちらに活きたものが無かったら、活きた働きは現れません。いつも申しますように、天地の親神様って言う方は、言うならば電気と言う様なお方なんだ。
こちらが活きたものを持っていくから、活きた働きが現れるんだね、ここに電気が有ってもね、例えばせんの切れた玉をここににつけても、光は点きやしません。心が枯れておったんでは枯れた木や、枯れたた竹をここへ持ってきてもビリッとも来ませんね。心が活き活きとして喜びに溢れて真心いっぱいで。そういう活きたものを持ってして、初めてこの神様を動かす事が出来る、通う事が出来る交流する事が出来るのである。
そこに例えば、旋風機がもうたり電気が付いたり、精米機が動いたり製材機が動いたりというほどしのですね、働きが出来るのが、金光様のご信心なのです。どんなに素晴らしい製材機が座っておりましてもですね、どこにか故障があったら、どんなに真心を持ってです、スイッチを押したって動きもしませんでしょうが。同じ事ですね、ですから私共はそこん所をですね、頂いていかなければならん。それにはですね、ですからここでまず思わないかない事は、金光様のご信心だからというてですね。
ただ世界の名教だ、世界の名教だにあぐらをかいているうちに、いつか形式教に堕してしまうと言う様な事はあってはならない。教祖に帰れと言う事を言われておるね、教祖の時代にですね、あのような活き活きとしたご比例が輝いた。触われば暖かみを感じる、突いては血が飛び出るほどしの、活き活きとしたものであったね、そう言う様なものがですね、お互いの御広前に現れる。自分の家庭の上に現れる。
自分の職場で現れるね、自分の仕事をしておる、その辺が光り輝くと言う様に、なってくるおかげを頂かせて頂くためにですね、はやりも無からなければ、終わりも無いけれどもね、それには「天地日月の心になること肝要なり」と教えられておられます。ですから金光様のご信心はですね、その天地日月の心になるという事をです、天地日月の心になるという事はどの様な事であろうかと、私共がそれを検討していくね、それを生活の上に現していく。なるほどこれが天地の心であろうなぁと。
様々な問題に直面する度に、天地の心が知りたいと、願わなければならんね、私は今日のこのお祭りを拝ませて頂いて、座ったとたんに感動した。感動が止まない位に感動した。感動して言われるもうなんていうお見事なお供えであろうか。私が正月鳳流ないかんと思うてですね、私が昨夜一台盛りおったんです、はいつまでかかっても出来ん、いつまでかかっても出来んのです。で私はあの本当に、まあ二番目の息子ですけども、ずうと助手してくれました。
そしたらあぁたははっ、お父さんちょうど地震のありょるごたるですばい、あぁたもっとんなさるとはち、こげな風によごどるわけ、そしたらとうとうそれが崩れしもうた。いんけんそれけん、これは親先生これは、親先生はこの神饌やらしていけんち、言いなさることですよ神様が。言われてからほんにそりゃそうてと、ならこれは、このままほうからかしとこう。明日「よしろう」さんが来てするて言いよったげなけ、ほんならこの材料で一つあの、正月らしゅう盛らにゃいけん。
大祭には大祭らしゅう。霊祭には霊祭らしゅう。お月次祭にはお月次祭らしゅう。元旦祭には、ちったお互いがめでたいと思えるような、お供え見ただけでも、おめでたいなと思えるように、そういう工夫がこなさなければいけない、これは私の流儀なんです。私はもう口上だけは言いますけど、なんちゃ自分じゃしきらんとです。それから私は今朝から、「よしろう」さんが早う来てから、全部やり直してくれましてから、あのように見事な、本当に正月らしい雰囲気の、いっぱい溢れるような神饌が出来ておる。
どんなに上手やっちゃですね、お供えがいっちょん集まっとらんなら、出来やしません。けれどもそれこそ、もう自分の思うままに出来る、私共素人ではですね、却ってあんまり沢山あるから、盛りようがなかと言うくらいに、夕べあったんです。ですから夕べ言うならば、これの半分はですね、昨夜の除夜祭にお供えさせて、頂いたんですね、その例えばお供えの前に座らせて頂いて感動した。誰だってやっぱおかげ頂くと感動する。おかげ頂くと有難いね。
けれども私の感動は、少うしちごとったと思うんですね、二十年前の、私が福岡での修行中の自分の、私の方の例えば私の元旦祭。私の月次祭。お参りが二人か三人か、やっぱお参りがありおった。けれどもそのお供えというのはね、お神酒鈴の中にもお湯であった。もちろんお魚なんかは、まあイリコがあればいい方であった。野菜やのテントにも捨ててある、大根の腐ったようなのを、綺麗な所だけを斬ってもろうて来て。
たくあんのもう、これは売られないと言う捨ててあるのを、もう持って行きなさんなら、みんなでん持っていって下さいという様な物を頂いてきて、それを綺麗な所だけを斬ってからのお供えだったね、ある時神様がお礼を申させて頂いておりましたら、水ずくしって。本当に水ずくしです。お神酒鈴の中にもね、いわゆる水ずくしと同じ様なお祭りだと。けれどもね、こういう修行もさせておるけどもね、神様の思いとか願いというのは、水ずくし魚ズクシにするまでは、離れられぬが神の心じゃと頂きます。
昨日の月次祭にはね、私は二三日前たまがった。親先生ちょいとえらい良い魚がお供えきとりますばい、六十キロ位ありましょうち、六十キロちゃあんた百斤もあるじゃんの、ちょいと先生見て下さいと言うから見ましたら、成程本当にもう大盛り台いっぱいの、あの鯛と同なしと言われるアラという魚がありましょう。それこそこんなに大きくしとる、大盛りだい一杯になるんですから、こりゃまあ百斤はなかろうばってん、まあ五十斤はあるだろうなと言うて、昨夜前夜祭にはそれをお供えさせて貰いましたね。、
本当に魚ズクシ、冷蔵庫の中には、もう冷凍された魚がいつも切れ間が無いほどしにおかげを頂いておるね、神様の願いと言うのはです、魚ズクシにするまでは、と言うのが神様の願いなのですね、ですから私共がです、ほうらばさらかおかげ頂いた、と言う事が感動ではなくて、二十年前の事を思うたらですたい、なんと本当に信心も出来んのに、やっぱりこういう時代を神様が待っておって下さったんだと、私は思うて今日のお祭りを奉仕させて頂きながら、感動させて頂いたね。
そこでです私がなら、二十年間どのような、信心をしてきたかと言うと、ここにございますね、「天地日月の心になる事肝要なり。」と言う事をです、考えてみると、私はこの御教えを頂いて、そうしたわけじゃないけれども、はぁあれが天地の心を心としての、生き方であったのか、あれが日月の心であったのかと、思いあたらして頂く事ばっかりでございましてね、成り行きを大事にさせて頂こうと言う、例えばここの合い言葉のように言われておりますね。
成り行きを大事にして、成り行きを有り難く受けて行こうと、どの様な事柄であっても、合掌してうけて行こうと。天の心というのは、恵みに恵みに恵みきっていくもの。与えに与え与えきっていくもの、それは降る雨のようなもの。それを受けられないと言うのは、おかしい位な事。「信心してみかげの有るを不思議とは言うまじきものぞ。祈むりてみかげの無き時は、これぞ不思議のあることぞ」と仰せられる程しのものなのだけども、祈むっても願っても。
信心しても修行してもおかげを受けられんなら、それだけではいけんのだとね、これは本当に一つ信心を分からせて頂いたその信心が、生活の上に現せなければならないという事をです。私は分からせて頂かねばならんと思うのですね、天は与えに与えるもの。そこで私はね、あの椛目時代にですね、それこそもう棒にも橋にもかからない病人がです、それこそ、いつも十人位はずうと家に寝泊まりしておられた。しておられました。もう親もかまわんとですね。
盲さんのもずうと、顔洗いなさるとから家内がいちいち、あっこうやってしてやらなきゃならない様な人達が、あの置かせて下さい、おかげ頂かせて下さいち言ってやってきた。しょくだいをもらう訳じゃない、お金をもらう訳じゃないね、もう宿屋で宿屋で親子でおった人がです、宿屋で宿屋でもう宿賃を払わんから出てくれち言う。それをある方が、気の毒だと思って、合楽の先生にお願いすりゃ、見てやんなさるですよ。
その病人が小児結核でもう12になっておりましたが、こげんして抱えれるごとやせとったですよね、そういうのを連れて帰り持ってきた。其のたびに私は検事局にまで呼ばれたちゃね、久冨先生の所の前のあの「エイセイ」何とか局と言うのが、そっからもう何人者もんが役人のもんが調べに来てからですね、私をまるで罪因扱いのようにして、私を調べた時代がありましたね、勿論それは一つ一つがおかげ、まあ言うならば、合楽の受難時代でもあったろうかと思いますね。
そう言う事でもです、受けに受けて受け抜かせて頂いてきた。金を貸して下さいと言や、お賽銭箱をひっくり返して私は、持たせてやりましたね、いわゆる与えて与えて止まない天の心とは、そういう心で有ったかと、今にして思うのです。今あんた方が金借り来なさってちゃ絶対貸しやしませんよ。(笑い)ほうらもう良か事聞いたち思うちから来っちゃもう同し事、今ごろはもう、だいぶん信心が変わっとるとですから。(笑い)こっちが、貰う方ばっかり貰う方。(笑い)ね。
病人さんを預かって下さいなんて言いたちゃ絶対預かりません。ここはおお子守り堂じゃなかから。金光様の先生にでも成らして頂くうというならば、そりゃ病人でも私が預かりますね、けどももう時代が違うてきた。椛目時代と合楽時代ではですね。いわいる天の心というものがそのようにして私は、天の心と分からんなりに、そう言う様な信心をさせて頂いておったね、地の心。地は受けて受けて受け抜いていくもの。どのような汚い物を持ってこられてもです、それを黙って受けていくもの。
しかもそれを自分の根肥しにしていくもの。それが私は父の大地の心だと思う。私共の生活の上にはあります様々な、そこの所をです大地の心を大地の心として、私共が受けていく信心。ここでだいたい天地の心が分かったでしょうね、神の心を心としてと言う事を申します事を、天地の心を心としてと言う事。それを合楽流に言うと、成り行きを尊ばせて頂こうと言うのである。ただ成り行きを頂こうじゃ無くて、それを尊ぶんだ。それを大事にするのだ。それが合楽の生き方なんです。
次にいや日月の心なのだ。私は日はお昼の事だと思う。今はだから日、日ね、月、月の心と言うのは、夜の心だと思う。私はもうこれも、十何年も前に頂いた御教えの中に、「朝の清々しさ、昼の忙しさ、夜の有難さ」という事を頂いたね、朝の有難さが大事ですね。いわいるそれは清々しいまでに有難いというものが朝なのです。とても八時やら十時頃どん起きよったっちゃ、そりゃ絶対もう頂かれん。今朝私は、もう本当危ねー事で、もう今日一日もうお雑煮も頂けん筈じゃった。(笑い)
もうそればってん私が頂かんと家族中のもんが頂きませんもん。一、二ヵ月前に、御神飯が五分間ばっかり遅れた。四時に私がここに出てくる前に、まだお供えしちゃないです、御神飯が。今二番目の愛子がおかげ頂いとる。それでまあ人間じゃたった五分間ばってん、神様の方からご覧になりゃ大変な事だと思ったから、こりゃもう、五分間遅らかしたちゃけんね、やっぱりちょっと遅らさにゃいくまと思うてから、晩の十二時まで遅らかせた。はっだから一日断食させて頂いた
。私がそういう風にしたもんじゃから、もう皆修行性の方達までが断食しておる。今日も危ねこつでもうほんなこて断食せないかん所じゃった。それがあぁた私は何時ものように三時半に起きるために、やって参りましたら、食堂が真っ暗しておりますもん。それからもう私が行ったら、家内はもう昨夜遅かったからもう寝ら、寝ちゃ成らんと思うちから応接台の前に枕時計ば前に置いてから、こうやって寝とる。ほりゃもう時計はジャンジャンなりょるばってんが(笑い)
おぼえんなぐうぐう言うちから、もう時計のジンジンよりかいびき方が大っかごたる格好で寝とっとじゃん。炬燵の間に行ったら今度は、愛子がやっぱり寝ちゃならんと思うてから、炬燵に伏したまま寝とるとじゃん。ほうらお前御神飯どうするかと言うてから、もう一遍に飛び起きてしもうてです、けれどもね一生懸命でやっぱお願いさせた、二十五分間で出来た。はぁもうおかげ頂いてから、今日はねこれも元日早々からまた断食せなんかち思いよったら、おかげ頂いてからおかげで断食せんですんだ(笑い)
ちった今日はおとそがきき過ぎてから、けれども私は思うた。今日はねあの家族中のものでおかげ頂いて、まあお互いがあその祝福をしおうて、おりましたら急におばあちゃんがですね君が代ば歌いだしましたもん、ほう私はばあちゃんの君が代ちゃ初めち聞いた。(笑い)ほれから、子供達がみんな、それに合唱しますから、私も箸を置いてもう家族中で君が代を歌いました。(笑い)本当にそしてから、今朝からのご理解を思いましてです、神乍らな事だなぁと思うた。
今の時代の人が本当に君が代を祝い、寿くとかね、天皇命のと言った様な事はもう言う、言うなら馬鹿んごと言う、言う時代なんです。天皇陛下も人間じゃけんち言いたごたるね、けれども今日の朝のご理解を頂きますとですね、お役に立ちたい。世のお役に立たせて頂こう。そこでお役に立たせて下さいと願わなければならない。どうぞお役に立たせて下さい。どうぞ世のお役に立たせて下さい。
そこにはまず祈りがなかなければならない。自分の事だけじゃでけん、本当に日本国中の事どころか、世界の隅々から私は最近は世界どころの中々もう、宇宙中の事をお願しよる。もう最近それができる事が有難いです。へぇ世界中の事はもう隅々の事。もう本当に隅々トカゲを取って食べている人達の上の事まで心に描かして頂いて願うておるね、さあ、今平和にならせて下さいとか、どうと言う事はとても出来やしませんけれどもです、戦争しながら、喧嘩しながらでもいいじゃないか。
問題はそこからね、立ち行く事のお蔭を頂かせて下さいね、戦争しながらでも立ち行くお蔭を頂かせて下さいね、立ち行くおかげを願わせて頂いておる。成程おばあちゃんが今日は君が代を歌うたはずだと思います。神様が歌わせなさったんだね、ただわが世のはるばかりを言わずに、やはりね天が国下の事が心から祈れる私どもに成らせて頂くと言う事が、私は信心のおかげの受けた人達の心「限りなく美しゅう成らせて頂こう」が一昨年。去年が「より豊かにより美しく、よりにこやかに」と言う事でしたね。
その限りなく美しゅう成らせて頂く事に精進しながら、より豊かによりにこやかに、明るくね、そういう心そう言う状態を持って、世のお役に立たせて頂くと願うならばです、神様が御用に使うて下さると思うですね、ほりゃお役に立ちたいお役に立ちたいち言うたちゃもう、ならお金でおかげを頂きなさいち、いうたっちゃお金は持たん。そんならいっちょ体でおかげを頂かんのっちいよりゃもう、体が動かんごつなっとる。ならちった頭でなっとんおかげを頂かんのっちいうたっちゃ、頭はもうボンクラ。
もうそんならなぁに御用して、それでいてからお役に立ちたい、お役に立ちたいち言うたっちゃ出けんでしょうがね、ですからお役に立ちたいならばです、私は本当にね、総ての点におかげを受けなきゃいけんてね、そのためにはです、私はゴボウのような修行がいると思う。長う苦労しとかにゃならんね、ゴボウというものは長う黒うしておる、めぐんぼうのごたる。こげなんですからね、例えば今日のようなお正月のめでたい時にも絶対にんじんごんぼがいるでしょうが。
かと言うてですなら今度は、さあお葬式だと言う時にごんぼんなか、あのあれありません。必ずごんぼがついとる。にしじのごそうさんにがめ煮どん作る時には、やっぱりごんぼが入っとらなきゃ味がなかと言われるくらい、どの様な事にでも御用にむせないね、精進ごとであろうが、お祝い事であろうが、日常の事であろうがですね、それはあれが長ごう苦労しておるからなのだと、これを信心で言うと、長がい信心修行が出来てからおかげを受けておるから、そういう味を持っておるから使われる。
それでいてどうぞお役に立ちたいと言う事にならなければいけない。しかし今朝のご理解を頂きゃらすとですね、そういうほんならおかげを頂かなければお役に立てないかと言うとそうではない。今日はあそこ今参っておりますが、田主丸の役場に奉職しておられます。青年の方が最近もう何ヶ月でしょうか、毎朝、朝日参されます。ほらもうやっぱり御理解の魅力でしょうね。ちゃんとお帳面もって雜のう持ってきなさいますもん。ちゃんともう私は、その御理解頂いて(笑い)帰られる。
いやもうここは皆その、ご祈念の時ざつのう持ってくるですよ。もうおじいさんでも。今は皆。もうびっくりする位です。誰が持ってこいち言ったわけじゃなかけれども、とにかくざつのうもってきてから、それからざ雑記帳出して、教典を出して、ね鉛筆のあれを出して、はりゃもう鉛筆が一本じゃ折れたらいかんけんと思うちからやっぱり二本位こう用意してちゃんとして、前に置きながら、こうやられる。はー有り難いですね。そのくらいに熱心信心の勉強をしておられます。
その方がです「先生今日の御理解を頂いておりますとお役に立つと言う事はね、まあ私どもの様に信心の分からない、未熟なものがどの様なお役立たせて頂く事が、役に立つ事だろうか」と言われますから私は申しました。そうですねまだその信心を頂いて、信心を現すと言うほどしの事はできとらんけれども、まあとにかく有り難いなぁと思うてから来よりなさるとじゃろうもん。先生が言う事を成程いちいち道理だと、もっともだと成程それなら幸せに人間がなるだろうと思わせて頂く事を毎日。
御教えを頂いて行きよりなさるじゃろうが。だからね例えば、役所でお食事でもする時に又はお茶でも頂く時に、茶飲み話にでもよいけん、最近私は合楽にお参りさせてもらいよるが、ちょいとやっぱ有り難か神様よと、とにかく参ってなさい、どんな病気でもようなるなんてんち言うごたるじゃいかん。それけん病気直しのごたる風に思うね、「病気直しや、災難よけの神じゃない、心直しの神じゃ」と仰るんですから。
とにかく私はお参りをさせてもらうようになって、心の持ち方が変わってきた、心が耀うなって来た、という事を相手が聞いても聞かんなもよいけん、ゆあん茶飲み話にでも話なさい。中に反発するとがおるじゃろう、わけえもんが信心どんしてちゅうとおるかもしれんけれども、かんまんそれを話なさい、それがお役に立つ事だと私は申しました。してみると、ここに御神縁を頂いておる人達ならば、まずそういう所から、お役の私は手始めが有るんじゃないかと思います。
同時にただいま私が申しますようにですね、本当に神様の御用に立たせて頂こうという事は、お役に立たせて頂こうと言う事は、神様に喜んで頂く御用が頂きたいと願うならまず、私共がねおかげを受けなければならないと言う事でございますね、お互い日月の心と言う事にですね、朝目覚しのおかげを頂いて、はぁ眠か眠かと、こげん早よから信心せんなら、本当にこれはどういわない事つじゃあると、思うて参ってくる人もありましょう。先日ある方が、あ親子一家で勢をそろえての信心なさっておられる方が。
夜のご祈念に朝晩参って来ます、参ってみえてから、なんかの共励会の時だったでしょうかここで。話されておられました「先生私は思います、朝起きるとがしるしいってまだ、だからこれじゃあまだ神様がおかげは下さらんぞとねと言うて家内と話します」と言うのであるね、ここでおかげどんおとどんが今頂いたらならば、もう恐らく朝参りをやめてしまうじゃろうと。この朝参りがお母さんいっちょ有り難うなった時が俺達がおかげを受けるときそいてね、信心がね嬉しゅう楽しゅうさせてもらわにゃいけん。
その嬉しゅう、楽しゅうならせて頂くという所に信心の焦点を置いて、おかげを受けなければならん。まだしるしい位な事じゃ、まだほんなもんじゃないという訳なのです。これじゃまだおかげを頂かんはずだと言う訳である、結局私は思うのに、夜の有難さというものが必要だと思う。一日の事を一生懸命振り返ってみるね、それには何というてもです自分の職場自分の御用、その分担をですね、もう心の限り真を尽くさせて頂いての働きになってこなければならん。
その働きが必ず自分の周囲を楽させる。働くとははたを楽させると言う事じゃと仰るね。俺が働いとると言う我でじゃないね、いわゆる朝の清々しい、有り難いという思いがさあ今日も御用に使うて頂くぞと、一生懸命御用させて頂く、そこから今日もはぁきつかった、きつこっちゃきつかったばってん、本当に今日は一日有り難い一日であったと、お風呂んどん入って、ご飯ども食べて、夜の御祈念でもさせて頂いたら、もう有り難うして、有り難うして、というような思いで夜休んだら。
例えば、家内と私の場合ですけれどもどげん考えたっちゃおかげいただいとる。どげん考えたっちゃ有り難い事に、これがもう何十年かの寝物語です私共は。もうそれどろですじゃないですもんそれが日々実感ですもん。どげん考えたっちゃおかげいただいとる。ん、ほんなこってすね。それなんですね、その有り難いという思いで休ませて頂く、そこにです、私は有り難い、清々しい目覚しのおかげを約束されると、私は思いますね、私が三時半に朝出てまいります。
修行性の方がそこのふすまをキチット四時になったら開けてくれます、それまでの三十分間という間の私の、心の状態というのはね、これはもう誰も知るまいと思うですもうそれこそ「心の中に咲く花は、弥陀より他に知る、人の無し」と「空海」は仰られたそうですが、大坪総一郎の心の中のあの三十分間の思いは、もう天地の親神様と、金光大神より他に知る方はなかろうっと思う位にて有り難い。ふすまが開くのが待つじぃとそれを、待たせて頂いておる間の緊張感した気持ちと言うのはもう、何事にも変え難い
(途中末尾切)